鈴木宗男(すずきむねお)

鈴木宗男

日本維新の会所属の参議院議員(1期)、地域政党新党大地代表。元衆議院議員(8期)。北海道維新の会代表。沖縄及び北方問題に関する特別委員会に関する特別委員長(ウィキペディアより)。

鈴木宗男の発言

  • 丸山穂高について)論外の話ですね。ビザなし交流の目的のなんたるかも勉強しないで行くこと自体が間違いですし。あそこで外に出たい、しかも酔っ払って言うこと自体がこの人、本当に国会議員なのかなという感じがしますね。
  • 『めちゃくちゃだ』という方がいるが、私はめちゃくちゃだという方がめちゃくちゃだ」と意に介さず、「私は職を賭して勝負してもいいぐらいだ。無責任で言っているんじゃない。
  • 努力に勝る天才なし。人並みなことをしていたら人並みで終わる。人より一生懸命汗を流すことで信頼が増し、可愛い奴だと思われるようになる。
  • 私は、北方四島返還の実現に向けて不断の努力をつづけてきた。つねに国益を考え、日本政府の基本方針に従い、信念を持って行動してきた。いま振り返っても、非難されるべきことはないと思う。
  • 橋本龍太郎内閣で外交が官邸主導になりましたが、それまでの内閣は明らかに外務官僚主導でした。
  • 宇野、海部、宮沢、細川、羽田、村山・・・歴代の内閣は外務省任せだった。
  • 橋本内閣で変わったのは、ひさしぶりに自民党の本格政権が誕生したという側面が大きかった。これで政治家はとても動きやすくなりました。
  • 農業、水産、林業、すべてを含めた日米構造協議がはじまり、規制緩和や国際入札の波が押し寄せ、コメの自由化やオレンジの自由化など、国民生活に直結する問題はすべて外交で決まるといっていい。
  • 外交は50対50、5分と5分なんです。そのなかでいかにして『実』を取っていくかが重要なポイントなんです。
  • 1991年、私が外務政務次官のときに『ビザなし交流協定』ができました。協定終結5周年が1995年で、そのときはじめて国会議員も島を渡っていいということになった。私はその第一号でした。
  • 歴史的な日本の領土ということであれば、千島と南樺太も入ります。それらの領土は、なにも日本が侵略によって奪い取った土地ではないからです。しかし、先の大戦で負けてしまったことによって、サンフランシスコ平和条約第2条C項で千島と南樺太を放棄した。この条約は国会でも批准されています。国際的な約束をしているということです。
  • 霞ヶ関の中央官庁で実質的な政策を決めるのは課長ですからね。課長補佐くらいから付き合いはじめることが重要です。課長補佐としての仕事振りを見ていると、その人間が将来どれくらいのものになるかがわかります。

鈴木宗男の著書

鈴木宗男が影響を受けた人物

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犬猿の仲


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