明治時代に4度にわたって内閣制度発足以降の内閣総理大臣(初代[1]:1885年–1888年、5代:1892年–1896年・7代:1898年、10代:1900年–1901年)を務めたことで知られる。1次内閣時には明治憲法の起草の中心人物となり、2次内閣では日清講和条約の起草にあたった。4次内閣の組閣に際して立憲政友会を結党して初代総裁(在職1900年–1903年)となり、政党政治に道を開いた。他、初代枢密院議長(在職1888年–1889年)、初代貴族院議長(在職1890年–1891年)、初代韓国統監(在職1905年–1909年)、元老などを歴任した(ウィキペディアより)。
伊藤博文の発言
- 大いに屈する人を恐れよ、いかに剛にみゆるとも、言動に余裕と味のない人は大事をなすにたらぬ。
- 本当の愛国心とか勇気とかいうものは、肩をそびやかしたり、目を怒らしたりするようなものではない。
- 国の安危存亡に関係する外交を軽々しく論じ去つて、何でも意の如く出来るが如くに思ふのは、多くは実験のない人の空論である。
- いやしくも天下に一事一物を成し遂げようとすれば、命懸けのことは始終ある。依頼心を起こしてはならぬ。自力でやれ。
- 今日の学問はすべて皆、実学である。昔の学問は十中八九までは虚学である。
- お前に何でも俺の志を継げよと無理は言はぬ。持って生まれた天分ならば、たとえお前が乞食になったとて、俺は決して悲しまぬ。金持ちになったとて、喜びもせぬ。
- たとえここ(英国)で学問をして業が成っても、自分の生国が亡びては何の為になるか。
- われわれに歴史は無い。我々の歴史は、今ここからはじまる。
- 私の言うことが間違っていたら、それは間違いだと徹底的に追及せよ。君らの言うことがわからなければ、私も君らを徹底的に攻撃する。互いに攻撃し議論するのは、憲法を完全なものにするためである。くり返すが、長官だの秘書官だのという意識は一切かなぐり捨てて、討論・議論を究めて完全なる憲法をつくろうではないか。
- 現在の日本は地平線から出たばかりの太陽である。暁の雲から出たばかりの太陽は光が弱く、色も薄い。だが、その太陽はやがて中天までくると、全天に輝きわたる。これと同じように、日本もまもなく世界に雄飛し、日の丸の旗は尊敬の念を持って世界の人々から見られるようになるだろう。
伊藤博文の著書
伊藤博文が影響を受けた人物